沿革(団)

更新日:2022年11月18日

橋本市消防団

 

平成18年3月

橋本市と高野口町の合併により、両市町の消防団が統合され、1団本部10分団定数585名の組織になる。装備は、ポンプ車17台、小型動力ポンプ付積載車27台、小型ポンプ4台を配置。

平成18年7月

御坊市で開催された第21回消防ポンプ操法大会・自動車の部において、第7分団が優勝、小型ポンプの部において第6分団が準優勝し、第7分団が兵庫県三木市で開催された全国大会に出場する。

平成20年7月

有田郡湯浅町で開催された第22回消防ポンプ操法大会・自動車の部において、高野口第2分団が優勝する。

平成27年3月

東京の日本消防会館で、第67回日本消防協会定例表彰式が行われ、橋本市消防団が消防団として最高の栄誉である特別表彰「まとい」を受章した。この表彰は、毎年、全国約2,200消防団の中から特に優秀な10団体が受章するもので、橋本市消防団の永年にわたる消防活動や、消防ポンプ操法大会の優秀な成績などが認められ、今回の受章となった。

  平成30年8月

和歌山市で開催された第27回消防操法大会・ポンプ車操法の部において、第6分団が優勝し、石川県富山市で開催された全国大会に出場する。

令和4年10月 和歌山市で開催された第29回消防操法大会・小型ポンプ操法の部において、高野口第1分団が優勝し、千葉県市原市で開催された全国大会に出場する。

旧橋本市消防団

 

明治初期 手動ポンプ 「玄吐水(げんとすい)」 や消防具を装備した消防の組織が結成
明治24年 橋本町で発生した火災の教訓を生かし、木製ポンプ 「雲龍水(うんりゅうすい)」 を装備した「小原田消防組」が組織。同消防組は、和歌山県知事から感謝状。 また、菊花御紋章入褒状(きっかごもんしょういりほうじょう)を授与
明治27年2月 公設消防組に関する勅令(ちょくれい)発布。橋本町では、「橋本消防組」、「小原田消防組」、「菖蒲谷消防組」及び「原田消防組」が設置
大正12年1月 各消防組を在郷軍人会橋本分会(ざいきょうぐんじんかいはしもとぶんかい)に継承装備はガソリンポンプ1台、 腕用ポンプ5台
昭和3年2月 鈴木式ガソリンポンプと森田式ガソリンポンプ等を購入
昭和4年 最新鋭の手引きポンプが寄贈
昭和14年 消防組を警防団に改称
昭和22年 勅令(ちょくれい)により警防団を消防団に改称
昭和30年1月  橋本町、岸上村、山田村、紀見村、隅田村(恋野村含む)、学文路村が合併し、7分団41部1,248名の橋本市消防団が結成
昭和46年9月 機構改革を完了。消防団員数は313名

 

旧高野口町消防団

明治29年 信太村で消防の組織が結成
明治31年頃 大野村、名倉村、応其村で消防組が組織
明治34年5月 名倉消防組、大野消防組が合併し、公設名倉村組織と改組
明治41年 町制施行に伴い、公設高野口町消防組と改組
大正11年6月 手押しポンプを廃して、ガソリンポンプを購入
昭和14年 消防組を警防団に改称
昭和22年 勅令(ちょくれい)により警防団を消防団に改称
昭和30年 高野口町、応其村、信太村が合併し、高野口町消防団が結成
昭和55年 高野口町、かつらぎ町、九度山町で伊都消防組合が組織。当消防組合の元で活動開始

 

雑学・まめ知識

消防団の歴史   <東京消防庁ホームページより参照>

<江戸時代>

 八代将軍徳川吉宗が、江戸南町奉行の大岡越前守に命じ、町組織としての火消組みである「店火消(たなびけし)」を編成替えし、「町火消(まちひけし)」を設置させたことが、今日の消防団の前進であるといわれています。

 

<明治~大正時代>

 「町火消」は東京府に移管され、東京府は明治3年に消防局を置き、「町火消」を改組し「消防組」としました。

 明治6年に消防事務は内務省に移され、東京府下の消防は、明治7年に新設された東京警視庁に移されたので、東京警視庁では、直ちに消防組に関する消防章程を制定しました。これが明治の消防の組織活動の基礎となりました。しかし全国的には公設消防組は少なく、ほとんどが自治組織としての私設消防組であり、それも名だけというものが多かったのです。

 そこで、政府は社会の発展に即応する効率的な消防組織の育成を図るため、地方制度再編成を機会に、明治27年に「消防組規則(勅令第15号)」を制定し、消防組を府県知事の管掌として全国的な統一を図りました。

 規則施行後にも、消防組の設立は遅々として進まなかったものの、警察署長等の積極的な働きかけなどにより、大正時代末には飛躍的にその数が増大していくこととなりました。

 

<昭和時代(戦前)>

 昭和14年に「消防団」と「防護団」を統合し、新たな消防組織を設けるため勅令をもって「警防団令」を公布しました。

 これにより、明治以来の消防組は、「警防団」として同年4月1日に全国一斉に発足され、警察の補助機関として、従来の水火消防業務に防空の任務を加えられ終戦にいたりました。

 

<昭和時代(戦後)>

 昭和22年4月30日に「消防団令」が公布され、「警防団」は解消され、全国の市町村に自主的民主的な「消防団」が組織されることとなりました。

 昭和22年12月23日に「消防組織法」の公布が行われ、消防が警察から独立するとともに、すべて市町村の責務に移されました。

 昭和23年3月24日に新たな「消防団令」が公布され、消防団は義務設置制から任意設置制になり、消防団に対する指揮監督権が警察部長または警察署長(消防署長)から市町村長、消防長に移されました。

 その後、消防組織の強化、充実を図るため、昭和26年3月に議員立法により「消防組織法」が改正されました。これにより、任意設置であった消防機関の設置は義務設置となりました。

公益財団法人 日本消防協会

消防団は、市町村の消防機関ですが、それを支える消防団員は「自らの地域は自らで守る」という郷土愛護の精神に基づいて 参加し、地域住民を守るために昼夜を問わず消防活動にあたっています。これは江戸時代の町火消し、明治時代の消防組以来の伝統であり、この基本精神は現代においても変わることはありません。

日本消防協会ホームページでは消防団について様々なことが詳しく紹介されています。

お問い合わせ

橋本市消防本部
〒648-0072
和歌山県橋本市東家六丁目2番1号
電話:0736-33-0119 ファクス:0736-33-0630
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