前畑秀子生誕100年記念事業
日本人女性初のオリンピック金メダリストであり、橋本市名誉市民でもある前畑秀子さんが生誕100年を迎えるにあたり、前畑秀子さんの功績をたたえ、記念事業を実施する。
前畑秀子さん
1914年(大正3年)に和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)にて豆腐屋を営む家に生まれ、紀の川で泳ぎを覚える。1926年(大正15年)に大阪府浜寺プールで開かれた学童水泳大会で50m平泳ぎで46.0秒という当時の学童女子日本新記録をうち立てる。1929年(昭和4年)にハワイで開催された汎太平洋女子オリンピックに出場し、100m平泳ぎで優勝、200m平泳ぎで準優勝した。1930年(昭和5年)からは椙山高等女学校(現・椙山女学園)に編入し練習に励む毎日を送る。
橋本小学校時代の前畑さん
椙山女学園時代の前畑さん
1932年(昭和7年)に開催された第10回大会ロサンゼルスオリンピックでは、200m平泳ぎに出場するも、僅か0.1秒差で2位となる。この後引退を考えたが、周囲の大きな期待や祝賀会に駆け付けた東京市長永田秀次郎に説得され現役続行を決意。猛練習を重ね、1933年(昭和8年)には200m平泳ぎの世界新記録を樹立した。
1936年(昭和11年)に開催された第11回大会ベルリンオリンピックでは、200m平泳ぎに出場し、ドイツ代表のマルタ・ゲネンゲルとデットヒートを繰り広げて、1秒差で見事勝利。日本人女性初のオリンピック金メダリストとなる。このレースでNHKアナウンサー河西三省が「前畑ガンバレ」と何度も絶叫した放送は今でも有名。
ベルリンオリンピック200m平泳ぎ
優勝し声援に応える前畑さん
引退後は、ママさん水泳教室を開くなど水泳人口の拡大に力を入れ、後輩の育成にも熱心に取り組まれた。1981年(昭和56年)に五輪功労賞を授与され、世界水泳殿堂入りを果たした。そして、1983年(昭和58年)に橋本市名誉市民の称号を贈られる。また、1990年(平成2年)には女子スポーツ界初の文化功労者に選ばれる。
子供を指導する前畑さん
記念事業の内容
- 前畑秀子生誕100年記念ののぼりを制作し市民に周知する。
- 県立体育館で前畑秀子生誕100年記念展を実施する。
- 毎年開催されている「前畑秀子・古川勝記念水泳大会」に「前畑秀子生誕100年記念」として、前畑さんのご子息や椙山女学園水泳部、さらにオリンピック経験者をゲストスイマーとして招き記念大会として開催する。
- 前畑秀子さんの資料集等を作成する。
前畑秀子生誕100年を記念したのぼり
更新日:2014年07月10日