高野街道 東家渡場大常夜燈籠
高野街道(こうやかいどう)東家渡場大常夜燈籠(とうげわたしばだいじょうやとうろう)
高野街道は京都・大坂・堺から河内長野を経て高野山へ向かう参詣道で、京大坂道とも呼ばれました。古くは九度山町の慈尊院から町石道を登りましたが、その後、御幸辻から南下して当地に至り、学文路(かむろ)から高野山へ登っていく道がひらかれ、室町時代にはもっぱらこの道が高野参詣に用いられました。
橋本の地名の由来となった橋は、天正15年(1587)応其上人(おうごしょうにん)よって架けられましたが、3年後に紀ノ川の出水により流失し、舟による横渡が行われるようになりました。その紀ノ川北岸渡場に建てられたのがこの大常夜燈籠です。この石燈籠が建てられたのは文化11年(1814)で、長く「無銭横渡(むせんよこわたし)」の渡場を伝えてきましたが、相対して建てられた2基の燈籠のうち1基は紀ノ川の増水により流失しました。その後、平成25年には紀の川の河川改修により現在地に移設されました。
この石燈籠の台座四面には銘文が残されていて、阿波国(あわのくに・徳島県)の藍(あい)商人の連中をはじめ、京都、難波、堺の商人および和歌山の川舟仲間ほか多数の講社、信者などの浄財によって建てられたもので、当時の弘法大師信仰の広がりと、かつての紀ノ川渡場の賑わいを今に伝えています。
紀の川堤防工事による移設前の東家常夜燈籠
更新日:2016年03月31日