応其上人

更新日:2022年06月28日

応其上人について

天文(てんもん)6年(1537年)に、現在の滋賀県に位置する近江国蒲生郡に生まれた上人は、38歳のときに高野山に上りました。

上人は13年もの間、修行に励みました。粗末な着物をまとい、果実と野菜だけを食べたと言われています。ここから「木食応其」(もくじきおうご)との別名も生まれました。

応其上人と橋本

このころ豊臣秀吉が天下統一を目指しており、高野山にも降伏を迫りました。

このとき応其上人は高野山を代表して、この要求に対して交渉を重ねて、聞き入れられました。

このあと上人は、現橋本市古佐田の荒地開拓のために家を建て、町を興し、物流の便利のために紀の川に約235メートルの橋を架けました。「橋本」の地名はここから生まれたと言われいます。

また上人は秀吉に願い出て、塩の売買の認可や税の免除の特権を認められています。これによって橋本は、街道を行きかう人々と紀の川の物流とによって、経済的に発展していくことになりました。

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